歴史 ダナン港 16世紀には広南政権の首府フエの外港ホイアンでは南蛮貿易が行なわれていたが、ダナン市は小漁村に過ぎなかった。 18世紀になるとトゥボン川(英語版)の河口にあるホイアン港が上流から運ばれた砂の堆積によって、次第に使用できなくなったため、ハン川の河口にあるダナン港(英語版)が成長し始めた。1835年、阮朝の明命帝は全ての欧州船にダナンに入港するよう勅令を発したため、ダナンがベトナム中部最大の港となった。1847年4月15日、ダナンの戦い(英語版)。1858年9月、フランス・スペイン連合艦隊、ダナンに進行し、コーチシナ戦争(英語版)(1858年-1862年)が勃発。1883年6月、トンキン戦争(英語版)(1883年6月 – 1886年4月)が勃発。1887年10月、フランス領インドシナ連邦の成立。1889年、フランスのインドシナ総督府はダナン市をクアンナム省から切り離し、トゥーランと命名して、総督直轄地とした。 20世紀始めのトゥーランはインフラストラクチャーが整備されて、食品加工業や造船業が発達し、ハイフォンやサイゴンと並んでベトナムの主要貿易港となった。 1965年3月、ベトナム戦争の際には、朝鮮戦争以来のアメリカ海兵隊が上陸して、大規模な米軍基地を建設し、1967年には中央直轄市となった。1968年の旧正月に南ベトナム解放民族戦線がダナン駐留米軍に大攻勢をかけたテト攻勢はベトナム戦争の激戦の一つである。ベトナム戦争後、ダナン市はクアンナム省と合併して「クアンナム=ダナン省」となった。 ダナン市には、空港・港湾・倉庫・銀行・工場などが次々に建設され、大規模な産業都市に発展する。1996年7月6日には再びクアンナム省から分離して中央直轄市となり、現在に至る。 ハン川河口部からダナン湾内の沿岸部にかけて、一般雑貨、コンテナ貨物、木材・チップ、セメントなどのターミナルが設けられている。港湾施設は当初河口部に建設され、サイゴン港やハイフォン港などの他のベトナムの主要港と同様に河川港であったが、拡張によりダナン湾沿岸部に新たなターミナルが建設されたことで、外洋と直接アクセスできる海港となり、入出港水路の水深等の制約が少ないという好条件を備えている。ベトナム中部における主要外貿拠点となっている。 また、海軍や海上警察の根拠地も置かれており、艦船の造修施設もある。